精神科医の“のほほん”ノート
診療に関係のあること、ないこと…ちょっと肩の力を抜いて“のほほん”と書いてます。
2006年
10月17日
(火曜日)
ドラマ「僕の歩く道」
[No.186] 22:00
2006年
10月04日
(水曜日)
スペクトラムよりフレーバー?
[No.183] 23:51
最近聞いた話だけど、「自閉症のこどもさんをもつ親御さんには少なからず自閉症フレーバーをもってることがよくある」という説明を自閉症のこどもさんを育てている保護者たちにしている専門家がいるらしい。
自閉症フレーバー…なんてステキな響きなんだろう!
このことを教えてくださった方も、フレーバーというコトバをとても肯定的に捉えておられた。
いろんな味付けのなかのひとつとして、このフレーバーを楽しんで生きることができたらどんなにイイだろう! と思う。
実際、楽しめる瞬間を実感しながら生きているひともきっとたくさんいるはず。
とっても個性的な味付けかもしれないけれど、万人から常に受け容れられる味付けではないかもしれないけれど、その味付けのよさを活かして生活していくことは決して不可能ではないはず。
自閉症フレーバーの味わい深さとクセを知り尽くして、うまく人生を乗り切っていけたらいいね…っていうメッセージをうまく伝えられるような、そんな支援ができたらいいなぁ。
自閉症フレーバー…なんてステキな響きなんだろう!
このことを教えてくださった方も、フレーバーというコトバをとても肯定的に捉えておられた。
いろんな味付けのなかのひとつとして、このフレーバーを楽しんで生きることができたらどんなにイイだろう! と思う。
実際、楽しめる瞬間を実感しながら生きているひともきっとたくさんいるはず。
とっても個性的な味付けかもしれないけれど、万人から常に受け容れられる味付けではないかもしれないけれど、その味付けのよさを活かして生活していくことは決して不可能ではないはず。
自閉症フレーバーの味わい深さとクセを知り尽くして、うまく人生を乗り切っていけたらいいね…っていうメッセージをうまく伝えられるような、そんな支援ができたらいいなぁ。
2006年
09月08日
(金曜日)
「勉強1日10時間」って…
[No.181] 01:08
「勉強を1日10時間しないとダメ」という学校の先生方のコトバに苦しんでいるPDDのこどもさんたちから連続して話を聞く機会があった。
ううむ…先生方の思いはわからないではないけれど、コトバどおりに受け取って燃え尽きるほど勉強して(実際に燃え尽きそうになって)しまうPDDのこどもたちのつらさも痛いほどわかる。
学校が終わって帰宅してすぐ勉強を始めたって、10時間の勉強時間は確保できないはずだ。普通に考えて。
10時間はあくまで「そのくらいの覚悟で勉強頑張って」って言いたいがためのモノの喩えなんだろうけど…ね。
そんな説明聞いてちょっとホッとしてくれたこどもたちの顔を見て、こちらも少し安心したりして。
私もモノの喩えを使うときには気を付けなくちゃ…と自戒してみる今日この頃。PDDのこどもたちを字義どおりに無理させてしまわないように。
ううむ…先生方の思いはわからないではないけれど、コトバどおりに受け取って燃え尽きるほど勉強して(実際に燃え尽きそうになって)しまうPDDのこどもたちのつらさも痛いほどわかる。
学校が終わって帰宅してすぐ勉強を始めたって、10時間の勉強時間は確保できないはずだ。普通に考えて。
10時間はあくまで「そのくらいの覚悟で勉強頑張って」って言いたいがためのモノの喩えなんだろうけど…ね。
そんな説明聞いてちょっとホッとしてくれたこどもたちの顔を見て、こちらも少し安心したりして。
私もモノの喩えを使うときには気を付けなくちゃ…と自戒してみる今日この頃。PDDのこどもたちを字義どおりに無理させてしまわないように。
2006年
04月16日
(日曜日)
ドキュメンタリー『うちの子 〜自閉症という障害を持って〜』
[No.139] 22:43
JNNネットワーク大賞を受賞したRKB毎日放送のドキュメンタリー番組『うちの子 〜自閉症という障害を持って〜』。録画しておいたものを今日ようやく観ることができた。
この番組は、自閉症のこどもさんのいる家庭の日常の姿をストレートに見せてくれる、まさにドキュメンタリー。
番組で紹介される家庭の数は決して多くはないけれど、ものすごく丁寧に取材されていて、日常の大変さとか苦労が続く生活のなかでの嬉しいできごととかがとってもストレートに伝わってくる。
それもそのはず、…
この番組は、自閉症のこどもさんのいる家庭の日常の姿をストレートに見せてくれる、まさにドキュメンタリー。
番組で紹介される家庭の数は決して多くはないけれど、ものすごく丁寧に取材されていて、日常の大変さとか苦労が続く生活のなかでの嬉しいできごととかがとってもストレートに伝わってくる。
それもそのはず、…
2006年
02月18日
(土曜日)
自閉症関連講演会へ
[No.113] 18:00
先日、公的機関主催の自閉症関連講演会へ出掛けた。
2006年
01月27日
(金曜日)
同期とわいわい。
[No.100] 01:34
ちょっと前のことだけど、同期入局の仲間たちと集まって新年会をやった。
同時期に精神科に入局して、一緒に研修して…今はそれぞれの職場で臨床をしたり研究をしたり、とみんなバラバラに過ごしているけど、集まればそこには入局当時と何も変わらないテンションができあがる。まるでつい昨日までみんなで一緒に過ごしていたかのような雰囲気で話がはずんでしまうのが不思議。
職場の質が違うから、それぞれが診療にあたっている患者さんの層もだいぶん違う。でも、最近みんなが関心を持っているのはやっぱり発達障害みたい。
おとなの精神科臨床をしていて、精神科診断がつくようなしんどい症状を持って受診される患者さんとよくよくお話ししてみると、もしかして広汎性発達障害的な面をお持ちなのかな?と思わせるような行動やことばづかいの特徴がみられたり、ということがあったりする。
もちろん現在の受診動機になっているのは、たとえば抑うつ気分とか強迫症状とかであって、広汎性発達障害的なこととは別の症状。しかも患者さんはある程度の年齢(成人の方がほとんど…)に達しておられて、親御さんと一緒に受診されるわけでもない。唐突に生育歴を詳しくお聞きするわけにもいかないし、でも広汎性発達障害が強く疑われる…。
こういうとき、告知をするのかしないのか、という話になった。
同時期に精神科に入局して、一緒に研修して…今はそれぞれの職場で臨床をしたり研究をしたり、とみんなバラバラに過ごしているけど、集まればそこには入局当時と何も変わらないテンションができあがる。まるでつい昨日までみんなで一緒に過ごしていたかのような雰囲気で話がはずんでしまうのが不思議。
職場の質が違うから、それぞれが診療にあたっている患者さんの層もだいぶん違う。でも、最近みんなが関心を持っているのはやっぱり発達障害みたい。
おとなの精神科臨床をしていて、精神科診断がつくようなしんどい症状を持って受診される患者さんとよくよくお話ししてみると、もしかして広汎性発達障害的な面をお持ちなのかな?と思わせるような行動やことばづかいの特徴がみられたり、ということがあったりする。
もちろん現在の受診動機になっているのは、たとえば抑うつ気分とか強迫症状とかであって、広汎性発達障害的なこととは別の症状。しかも患者さんはある程度の年齢(成人の方がほとんど…)に達しておられて、親御さんと一緒に受診されるわけでもない。唐突に生育歴を詳しくお聞きするわけにもいかないし、でも広汎性発達障害が強く疑われる…。
こういうとき、告知をするのかしないのか、という話になった。
2005年
11月10日
(木曜日)
自閉症スペクトラムはこどもだけ…?
[No.79] 00:45
星和書店の増刊 精神科治療学『新 精神科治療ガイドライン』が先月刊行された。
そのなかのコラムで杉山登志郎先生が『成人の高機能広汎性発達障害』について書いておられる。
広汎性発達障害(自閉症スペクトラム障害=ASD)は、児童精神科の世界では今ものすごく注目されている。早期診断や有効な療育の実施を目指して、研究や臨床や教育が行われていたり。
だけど、こんなに注目される前から世の中にはASDのこどもたちはもちろんいたはず。そのこどもたちは、今やもう大人になっている…特別な支援も受けないままだったひともたくさんいることだろうし、家族やまわりのひとの理解や協力も十分に得られないままだったかもしれない。
そして…そのなかの一部のひとたちは、二次性の精神障害をきたして、今私たちの外来あるいは病棟での治療を受けていたりする。おそらく大半はASDとは気づかれないまま…。
杉山先生曰く、「従来の精神医学、あるいは臨床心理学は発達障害という視点が欠けていたと思う。…今後、発達障害という視点から診断学体系を見直す必要があるのではないかと考えられる。」
…畏れながら、全く同感。
ASDという特性は、大人になっても続くもの。ASD特性をもつ患者さんにASDではない患者さんとは違う関わりかたをしたほうが治療もよりうまく進むんじゃないだろうか。こどものASDに特別な支援が必要なのと同じように…。
大人の精神科臨床にASDへの特別な配慮が当たり前に導入されるにはあとどれくらいの時間が掛かるだろう? ASDへの理解は決してこどもだけに限られる話ではない、と私は思っている。
そのなかのコラムで杉山登志郎先生が『成人の高機能広汎性発達障害』について書いておられる。
広汎性発達障害(自閉症スペクトラム障害=ASD)は、児童精神科の世界では今ものすごく注目されている。早期診断や有効な療育の実施を目指して、研究や臨床や教育が行われていたり。
だけど、こんなに注目される前から世の中にはASDのこどもたちはもちろんいたはず。そのこどもたちは、今やもう大人になっている…特別な支援も受けないままだったひともたくさんいることだろうし、家族やまわりのひとの理解や協力も十分に得られないままだったかもしれない。
そして…そのなかの一部のひとたちは、二次性の精神障害をきたして、今私たちの外来あるいは病棟での治療を受けていたりする。おそらく大半はASDとは気づかれないまま…。
杉山先生曰く、「従来の精神医学、あるいは臨床心理学は発達障害という視点が欠けていたと思う。…今後、発達障害という視点から診断学体系を見直す必要があるのではないかと考えられる。」
…畏れながら、全く同感。
ASDという特性は、大人になっても続くもの。ASD特性をもつ患者さんにASDではない患者さんとは違う関わりかたをしたほうが治療もよりうまく進むんじゃないだろうか。こどものASDに特別な支援が必要なのと同じように…。
大人の精神科臨床にASDへの特別な配慮が当たり前に導入されるにはあとどれくらいの時間が掛かるだろう? ASDへの理解は決してこどもだけに限られる話ではない、と私は思っている。


