精神科医の“のほほん”ノート
診療に関係のあること、ないこと…ちょっと肩の力を抜いて“のほほん”と書いてます。
2004年
09月06日
(月曜日)
不登校の原因って…
[No.2] 20:00
最近まで診ていた、ある不登校のこどもさんのご家族から今日電話をいただいた。
夏休み中はいろいろな事情で来ていただくことができなくて、2ヵ月弱ぶりのお話となった。
とても心配していたのだけれど、夏休みは元気に過ごせたらしく、なんと2学期になったら毎日普通に登校しているらしい。とっても嬉しい報告に思わず顔がほころぶ。
しかし、ご家族が言われるには
「それはまぁひと安心なんですけど…、」
なんだなんだ? 新たな問題発生???
「…先生、原因は何だったんでしょう?」
うーむ、そう来たか…。仕方なくこう答えてごまかす。
「いやぁ、何だったんでしょうねぇ(笑)?」
医学というものは、だいたい原因と結果=症状がはっきりと結びついているものだ。
細菌が体内で増殖すれば熱も出るし喉の炎症も起きる。
花粉に対してアレルギー反応が起これば、くしゃみや鼻水が出る。
刃物が身体に刺されば、痛みや出血がある、などなど。
だから、その原因に対する治療を行えば結果=症状が消失する。
増殖した細菌には抗生物質。
花粉アレルギーなら抗アレルギー剤。
傷から出血していれば止血して縫合、などなど。
これまでに蓄積されてきた医学的知識で、特定の原因による症状には特定の対応をすればいいことがどんどんわかってきている。だから原因をつきとめることがとても大切になってくる。『原因→結果』、こういうのを直線的因果律という。
ところが、ココロの症状だとそうはいかない。
不登校の原因なんて、たぶん患者さんひとりひとりでみんな違う、と言ったっていいくらいだと思う。
原因がわかったところで、抗生物質を飲むような根本的な解決策はないことだって多い。
(たとえば、「クラスの雰囲気がなんとなくイヤだから」とか、「この子に根性がないからだ」とか。)
そして、ホントにそれが不登校の原因(それも、たったひとつの原因)なのかどうかは誰にもわからない。たぶん本人にだってわからないだろう。
それでもヒトは答えを、原因を知りたがる。
もちろんそうやって答えを見つけることで医学やそのほかの学問・文化が発展してきているのは間違いないし、原因を知りたいというのは人間の当たり前の欲求なのかもしれない。
でも、きっとわからないほうがいいことだってある。ココロの症状の原因だってそうなんじゃないのかな、と思ったりする。
原因らしいものが見つけられると、誰かが傷つくことが結構多い。
学校に行こう、行かなくちゃと思ってこんなにがんばってるのに「この子に根性がないから…」と言われたら、どんなに悲しいだろう。
去年まで元気に登校していた子が不登校になって「今のクラスの雰囲気がなんとなく嫌だから…」と言ったら、新しい担任の先生はどんなに心を痛めるだろう。
「原因はコレだ」とコトバにした途端、ホントかどうかわからないのにすごく真実みたいな気がしてくる。これ以上がんばれないところで自分が原因だと言われ、それが真実だとされてしまったら…?
原因への対応、と考えたら「あなたがもっとがんばればいいのよ」ということになる。そして、ほかのひとは肩の荷を下ろしてもいい、がんばらなくてもいい、ってことにもなるかもしれない。
…少なくとも私がこんな状況にあったら絶対がんばれないし、がんばる気力もわかないと思う。
だから、私は原因をつきとめるとか、原因を作るっていうのがキライ。
症状がなくなったのならなおさら、もう原因のことなんか気にしなくていいじゃん、って思う。
誰も傷つかない原因を見つけ出すのなら、喜んでやるけど…ね。
夏休み中はいろいろな事情で来ていただくことができなくて、2ヵ月弱ぶりのお話となった。
とても心配していたのだけれど、夏休みは元気に過ごせたらしく、なんと2学期になったら毎日普通に登校しているらしい。とっても嬉しい報告に思わず顔がほころぶ。
しかし、ご家族が言われるには
「それはまぁひと安心なんですけど…、」
なんだなんだ? 新たな問題発生???
「…先生、原因は何だったんでしょう?」
うーむ、そう来たか…。仕方なくこう答えてごまかす。
「いやぁ、何だったんでしょうねぇ(笑)?」
医学というものは、だいたい原因と結果=症状がはっきりと結びついているものだ。
細菌が体内で増殖すれば熱も出るし喉の炎症も起きる。
花粉に対してアレルギー反応が起これば、くしゃみや鼻水が出る。
刃物が身体に刺されば、痛みや出血がある、などなど。
だから、その原因に対する治療を行えば結果=症状が消失する。
増殖した細菌には抗生物質。
花粉アレルギーなら抗アレルギー剤。
傷から出血していれば止血して縫合、などなど。
これまでに蓄積されてきた医学的知識で、特定の原因による症状には特定の対応をすればいいことがどんどんわかってきている。だから原因をつきとめることがとても大切になってくる。『原因→結果』、こういうのを直線的因果律という。
ところが、ココロの症状だとそうはいかない。
不登校の原因なんて、たぶん患者さんひとりひとりでみんな違う、と言ったっていいくらいだと思う。
原因がわかったところで、抗生物質を飲むような根本的な解決策はないことだって多い。
(たとえば、「クラスの雰囲気がなんとなくイヤだから」とか、「この子に根性がないからだ」とか。)
そして、ホントにそれが不登校の原因(それも、たったひとつの原因)なのかどうかは誰にもわからない。たぶん本人にだってわからないだろう。
それでもヒトは答えを、原因を知りたがる。
もちろんそうやって答えを見つけることで医学やそのほかの学問・文化が発展してきているのは間違いないし、原因を知りたいというのは人間の当たり前の欲求なのかもしれない。
でも、きっとわからないほうがいいことだってある。ココロの症状の原因だってそうなんじゃないのかな、と思ったりする。
原因らしいものが見つけられると、誰かが傷つくことが結構多い。
学校に行こう、行かなくちゃと思ってこんなにがんばってるのに「この子に根性がないから…」と言われたら、どんなに悲しいだろう。
去年まで元気に登校していた子が不登校になって「今のクラスの雰囲気がなんとなく嫌だから…」と言ったら、新しい担任の先生はどんなに心を痛めるだろう。
「原因はコレだ」とコトバにした途端、ホントかどうかわからないのにすごく真実みたいな気がしてくる。これ以上がんばれないところで自分が原因だと言われ、それが真実だとされてしまったら…?
原因への対応、と考えたら「あなたがもっとがんばればいいのよ」ということになる。そして、ほかのひとは肩の荷を下ろしてもいい、がんばらなくてもいい、ってことにもなるかもしれない。
…少なくとも私がこんな状況にあったら絶対がんばれないし、がんばる気力もわかないと思う。
だから、私は原因をつきとめるとか、原因を作るっていうのがキライ。
症状がなくなったのならなおさら、もう原因のことなんか気にしなくていいじゃん、って思う。
誰も傷つかない原因を見つけ出すのなら、喜んでやるけど…ね。


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